ピーチ
式年遷宮
金の三合局の発見はすごいと思いましたがある人によれば偶然で関係ないそうです。
2012/02/25 06:08:30
「あの世はどこにあるのか」

ピーチ
式年遷宮
式年遷宮が金の三合局の年に行われ鳥にエネルギーを集めているというのは大発見だと思いました。
2012/02/24 17:01:50
「あの世はどこにあるのか」

ピーチ
感想
とてもおもしろい本ですが第5章の109ページの占いによって私は自分の死ぬ日まで知っていると
題しているのに中身が書かれていないのが残念でした。
2012/02/08 19:25:49
「あの世はどこにあるのか」

まさや
ありがとうございます。
自分も持っていた問いを真っ正面から追求していく森田さんの情熱に敬意を表したいと思います。
2011/10/14 09:16:33
「あの世はどこにあるのか」

如是
あの世はどこにあるのか?
熱烈なもりけんさんファンの方々からは顰蹙を買ってしまうかもしれませんが、私は自称もりけんさんファンでありながら、何度も何度も繰り返し、もりけんさんのこれまでに書かれた書籍を読むタイプでなく、その点とてもいい加減で自己感覚に頼り、いい言葉でいえば直感で、的を射た言葉を使えば気分の向いたときに、その時ぐっと本に入り込む感じの、もりけんさんとの本のお付き合いをさせていただいています(新参者が生意気ですみません)。
そして、今回もなぜか急に「あの世はどこにあるのか」を無性に読みたくなって、今読み終えたところなのですが、山川さんとの問答によるもりけんさんの実体験と調査・探求から得られた、見えない世界の、あの世とこの世の、魂と人格の、繋がりはすべて情報によって、宇宙の始まりから網羅されていて、その事実を、カラクリを知りさえすれば、私たちはどこでもドアをツールとしてゲットしたと同じく、宇宙と自然とあの世の人とこの世の万物と、通信可能になるよという偉大なる発見(仮説)を、天才画家のモールスがモナリザの微笑の外応に乗じて、モールス信号を世界に発信したように、「あの世」と「この世」を「この世」側から通信可能にする画期的かつ合理的・近代的な方法論を提唱され、かつ四方を海に囲まれた風水に恵まれた日本の風土で、生まれ変わりのスープの情報を知り、前世の記憶を保持したまま、来世を体験する稀有なる機会にも立ち合わせていただいていることを思い、魂の観点から、数多の視点を確保し、そのことで神もまた自分を知りたくて、がんじがらめの運命と運命から外れることによる自由度を模索しようと日夜探求し続けておられるもりけんさんの時空へのひたむきな恋心にあらためて心打たれるとともに、今与えられし決まっている運命や環境に身を任せつつ、理屈や意識でなく、不思議の快に委ねる運命の波に乗り続けて生きたいものだと、あらためて思わせていただきました。もりけんさんは千年に一度でるかでないかほどの神に選ばれし逸材なのではないか、知れば知るほど、もりけんさんワールドにわからぬながらも魅了されている私です。
2011/02/05 17:43:53
「あの世はどこにあるのか」

桃代
ありがとうございます
こんにちは・・・・
久しぶりに森田さんの書籍を拝見して、一気に読んでしまいました。私には難解な部分もありましたが、繰り返し読んで飲みこみました。(笑)対談形式なので楽しかったです。
思えば私が最初に森田さんの書籍を拝見したのは・・・かなり前でした。フェルルちゃんもまだ生きていて、HPで女装とかされていた時期で。
「何か怖い、宗教か何か!?」とだんだん怖くなってきて、読むのをやめてしまいました。今思えば短絡的だったな〜と。
改めて読み直すと、ま、確かに好奇心旺盛な人だという認識は変わりないのですが、科学者として、人間愛←(陳腐な言葉だけど) 溢れた方だったんだ〜と
感じました。
俗な言葉でいうと、「あるがままに、自分の良い所を受け入れて、楽しく生きれば」
というメッセージを受け取ったのです。占術もあるよ〜というか。
もう少し書籍を読ませて下さい、とりあえずお礼までありがとうございました。

2010/03/07 08:37:38
「あの世はどこにあるのか」

935(くみこ)
新たな驚き
もりけんさんはいつも問いには結論ずけないし視点が広いです。
今回の本はインタビュー形式になっているので読んでて軽さもあるし口語体なのでより、もりけんさんを身近に感じられました。
なにより時空に関して、というか問いにおいてもりけんさんの考えが聞き手によって引きだされていて驚きました。
一番キタのは魂の記憶の場所はどこか・・・ということです。
わたしは肉体に付属している魂(記憶)がすべてでありそれは個のものだと思っていました。
でもそれは違うかもしれない。記憶の倉庫は別のところにあるかもしれないと。。。
いつも中国紀行をHPで読ませていただいてますがたくさんの良く当たる占い師が語る過去や未来の出来事をきくと個人の魂が見たり感じたりしたこと以外にも本人の目というカメラ以外の記憶が時空の倉庫にはすべて記憶されており、それが個の記憶を上まっている事実に驚きます。
個の記憶はもちろん、自分では見えていない個の様子も時空にはすべてデータとしてあるわけで。。
そう考えると私が何度も生まれ変わって持っている自分の魂の記憶も個専用の記憶ではないのではないかと思いました。
個人的にそれが一番キマした。
口語体なので文章もふだんのもりけんさんを見ているようです。
今までで一番すきな本になりました。
2009/04/10 12:49:32
「あの世はどこにあるのか」

さえ
あの世はどこにあるか 感想
夢中で読んでいるうちに‥いつの間にかもりけんさんの声に転換されて、ライブ感覚で読んでしまう自分でした。これだけの深い内容、わかり易く、無駄なく次々と飛び出した文章はエネルギッシュです。フィリピンの治療のお話でもりけんさんご自身が実験台になっている様子・・リアル過ぎて‥痛々しい気持ちで読みましたが、そのさなかでも抜け目なくご自分の血液を脱脂綿で持ち帰っていたのが驚きでした。実験のために自分をこれほどまでに明け渡せるのか・・ということを改めて感じてしまいました。
一キロほど出した臓物がその時には体重は減っていなくて、でも物理的に目の前には存在している。、時間差で体重が減りました。その時のもりけんさんの肉体に情報はないのに臓物という物質は外側に存在していた。でも、数時間後にはもりけんさんの体重が減って情報として存在している・・一体、どういうことだろうと。六爻占術のように間接的ではなく、未来の原因となる場に彼の手が伸びていって臓物を取ってくるような感じに、吃驚です。それだけで終らずに、発信機を物理的に入れたものをおへそから出すという現象はトリックのしようもなく凄い検証なのだなと。改めて・・深く吃驚してしまいました
2009/01/20 17:46:00
「あの世はどこにあるのか」

のもの
感想
 あの世は情報次元であるという仮説はとてもユニークだと思います。
最初は?だったのですが、何回か読み返してみてそうかもしれないと考えています。情報は形もなく目に見えないものだけど、だからこそあらゆる媒介を選ばず、伝達されうるのですね。モールス信号のように、次元を落とすと情報を伝えることが、可能になるというのも初めて知りました。
 あと魂には性格も記憶もなくただ視点だけあるというのも面白いと思います。僕も山川さんと同じく、魂に自我のようなものが、あるのだろうと考えていましたが、そうじゃないらしい。だとしたら魂を磨くのは無意味で、自分の欠点や弱点をひっくるめて肯定することこそ、大事なのですね。肩の力を抜いて、あるがままでいればいいのか。とても影響を受けました。
2009/01/13 14:55:53
「あの世はどこにあるのか」

ミル
>「あの世はどこにあるのか」感想
死んでも自分というのは存在しているんだと知って「私は結果」の賜物なのかと思ったりしますが、一番最初にスープを飲まなかった人もどういう経路で飲まなかったのかとか、後から良く考えたら前世を覚えているのはあの「スープ」だったかもしれないとか考えた人が存在したから共有できることが出来たのかと思うと、あの世もこの世もつながっているのだなと自然な流れに思えてきました

この世で日常生活を送っている自分は結果の自分だと思うと、突然疑問が生じて問いが生まれる時というのは、何か濃い時間体験のような無重力状態のようなです

未来を知りたくなった時、コインを振るという行為も良く考えると凄いですが、卦という状態で答えがしっかり表れてそれを解読して、しかも卦の書き換えも出来てしまうというのが、まず何よりも問いを発しないと場が生じないというのを知ると、結果の私が発した問いでまた空間というか時空が広がる感を想像すると、もりけんさんが物理の方程式に美しさを感じたというのがやっと少し分かったようで心臓ばこばこです

結果の私の人生は二重の人生のようにも思えてきました
2009/01/12 10:24:33
「あの世はどこにあるのか」

こはな
「あの世はどこにあるのか」感想
あの世って、考えてみると「どこなんだろう・・(汗)?」という感じです。あの世の所在地なんて、考えたこともありませんでした。そもそもあの世って何だろう(汗)この世のすべても何もわかりません。目に映るもの、聞いたことの範囲でしか、世界を捉えることが出来ていない気がします。例えば「この世ってどこ?」と問われたら「ここじゃん」とか「宇宙の中の、太陽系の中の、地球って星の世界・・かな」とか、何となく知ったような感じで答えることができます。でもホントは、私が答えていることはぜんぶ、曖昧な気がするのです。ここ、宇宙、太陽系、世界・・どれをとってもうまく説明できません。知識があれば、誰かが定義してくれたことを覚えて伝えることはできるかもしれないけど、実感をこめて「こうなんだ」と話しをすることができません。どうやったら「わかった!」という感じになるんだろうと思います。とはいえ私は、この本を読む前は「あの世」イコール「死んだら行く場所」と思っていました。だけど本書を読んで、著者が話す「あの世」は何か違うんじゃないか・・という気がしてきました。つまり、死んだら行く場所だけがあの世なのか。。と思ったのです。例えば、本書に出てくる、テレポーテションの実験、心霊治療の実験・・実験中に移動した物体はどこに行ったんだ?と疑問が生まれます。それが移動した場所・・それだって「あの世」かもしれません。私は「あの世」の定義が狭すぎたな・・とまず思いました。そしてもっと目からウロコが落ちたのは「何処で死んでも、あの世に行ける」です。考えてみたら・・これはすごいことです。中国で死のうが、日本で死のうが、地下で死のうが、飛行機上で死のうが、赤ちゃんで死のうが、お爺さんで死のうが・・場所、時、理由を選ばず、私たちはいつでもどこでも死ぬことが可能なのです。つまり「あの世」は、いつどっからでも行ける場所なのではないかということです。はっきり言って、かなりど肝をぬかれました・・。著者も「当たり前のことですが」と書いていますが、この当たり前になぜ気づけなかったのか・・・と思うくらい、何かすごい衝撃を受けました。あの世の場所について「余剰次元(高次元)」「情報次元」ではないかという仮設が出てきますが、これらの書かれた箇所は、難しいけど分かりやすく、分かりやすいけど難しいです。けれど、読めば読むほど頭が刺激を駆けぬけ気持ちがいいです。「あの世とはどこか?」それに伴うようにして「あの世って何だ?」「てゆうか、じゃあこの世界は?」「私って・・一体、何なのさ(汗)」と、すべてが不思議に思えてきます。この世もあの世もどうやって出来たのかさっぱりわからないけど、もしも世界を作ったひと(神)がいたらいまは「神様、調子はどうかな?(元気かい?)」って神様の近況を聞いてみたいなと思いました。
2009/01/04 18:14:09
「あの世はどこにあるのか」

ミル
>「あの世はどこにあるのか」感想
前作の「生まれ変わりの村」の情報で、前世の子どもを思って夕方になると思い出す話を思い出すと、とても共感してしまいますが、冷静に考えてみると私は人にどれだけのことを平然として来たのだろうとも考えると、人間って矛盾しているなと自分のことなのにカテゴリー「人間」に押しやって思考してしまう自分がいます

一段も二段もググッと地下というか地面に落ちてく感の自分ですが、不思議とそのような考えが出来て、「あの世」のわけ分からない恐怖感が消えていきそうで、未知な世界の「あの世」の情報も「この世」と変わりなく続いていると知って、しかもこの世のほうが自由かもしれないというのか仰天です

この世に根深く生きたい感が生まれたお正月が過ごせて幸せです
2009/01/04 15:22:25
「あの世はどこにあるのか」

ミル
「あの世はどこにあるのか」感想
後半の理論的な攻めにまだ興奮覚めませんが、「私は結果」だということを考えると、今の自分の状態は正直、磁石のsn極みたいに反発しているみたいに思いますが、でも「私は結果」なのだという情報をインプットされて、確実に変容というか変換されてく感です。

なぜだろうと考えると、行き場所はどこにも用意されていたようで、狭い世界だけを死守しなくても冒険してもいいんだというか、場所というか空間は無限にあるんだ感が生まれてきて、なんだか元気になります。

「私は結果」というフレーズは、まさに著書の中の「プリズム」のようで、過去・現在・未来に自分というか情報が存在していると考えると、「私は結果」情報を知らなかった過去の自分も、知った今の自分も同じなのに同じでないような混沌状態のようです。

「私は結果」情報を何が反発しているのか考えると、やはり自分のこの人生深刻過ぎるよということを思うときだと考えると、深刻という概念自体もうほんとに混沌の中のもので、時空そのものなんんだと考えると、「私」というものを「私は結果」だということを知らないで世間のモードの波間で自分を使い分けて生きるより、しっかり「私は結果」だということを認識して生きるということは、なんて喜ばしいことなんだと思ったりします。

時空は「情報」というものを無限に用意していて、それにどういうわけかそのつどアクセスしてしまうのか、びっちり永遠にインプットされる情報は決まっているのかとかんがえると、運命変更という概念が存在しているからそのつどというか、「今」の瞬間ちがう情報とも混ざって化学反応起こすことも可能なのかなと思いました。

どこまでいっても時空の中だけれども、化学反応は無限なのかなと妄想です。

「私は結果」だと外側からの情報と対面するわたしは、著書の中の道教の教えのようにプラスマイナスゼロな状態とか、人を癒すときの状態とか、サイン会のもりけんさんのことば「無色透明」とか、「私」は「私は結果」で、その次の化学反応は「無色透明」なんだと、まだまだ「私は結果」クリアしていないのに思ったりします。

本当にこの本に会えて良かったです。ありがとうございます。
2009/01/04 11:59:21
「あの世はどこにあるのか」

ノリー
興味深かった。根源的で、そしてエッチな話しもあった。
とても根源的なセリフが出てきていると思いました。
でもエッチなエピソードもありました。
かなりギリギリだと思います。

マジだけど、でもシリアスじゃない雰囲気の対談だと思います。
「(笑)」もありつつ、インタビュアーの山川さんと考えが対立しながらの議論もありました。

今日はいい天気ですが、あの世はどこにあるのでしょうか。
というようなところから始まっています。

この本にはたくさんの問いが出てきていると思います。
たとえば・・
方程式を作ったのはだれか・・
最初の第1章のページにいきなり(笑)出てきた問いですが、この問いは、神の存在を連想させると思います。

印象に残ったのは、神の存在を問っているところです。
神っているの?と思ったことのある人もいるかと思います。
そして神がいるとしたら、神ってどんな?
という問いも印象的でした。

なんか気が楽になったというのか、そんな感じになったところがあります。
著者が書かれた別の本に書かれてもいて、以前に読んだこともあるのですが、”お陰様”の話でした。
なんかこう言葉で前面に書くと、ちょっとお陰様の雰囲気が違くなるような感じもなんかしますが‥。

著者が調査したこと、エピソードが書かれていて、
それもいろいろな分野のエピソードがあると思います。

あの世はどこにあるのか・・についての仮説も話していました。
考えたことのないワードが出てきました。
物理学のみをやっていても、もしかしたら考えつかないかもしれないワードじゃないかと思いました。
それは、、(ネタばれになると思いますが‥)情報次元というワード、仮説を話していました。
次元って縦、横、奥で3次元。+(プラス)1次元目が時間‥。
次元として対象になっているものが空間と時間だと思います。
でも、情報が次元としての対象になっていることが意外に思いました。
2009/01/03 23:56:59
「あの世はどこにあるのか」

和佳
あの世はどこにあるのか
「生まれ変わりの村1」でまるで透明な感じの存在だった「僕」が、こういう人だったのかと思う一冊でした。神に恋してる…ではじまり、最新科学から調査の裏話、仮説など、もりだくさんでインタビュー本っておもしろいなと思いました。山川さんの質問や言葉がなんていうかここはどうなってるのかな…みたいに、いたるところの扉を次々ノックしてくみたいなのもおもしろかったです。
 
内容では、森田さんの…どこで死んでもあの世にいける←これが当たり前なのかどうかというその着眼点がものすごいと思いました。気がつかないくらいあたりまえだったとしたらそれは時空間のなんらかのルールにのっとっているんだなぁと、本を読みながら思うようになりました。いったい着いてしまうその先は高次元(精神レベルの話でなく余剰次元)なのか、それとも情報次元なのか…後半、白熱の対談が続きます。そこがおもしろいです。死んで余剰次元にいくのと情報次元に行くのとではなんか違うよなと思うからです。そして、発信機も体外離脱も手紙もどっかいっちゃうのだと思います。じゃぁここで読んでる「私」は…!?さあ、そこはどっちだと…読後ドキドキ悩ましいです。
 
話題に関しては調査事例が豊富で、ヘミシンク、心霊治療、道教、占い、生まれ変わりの証言調査、蘇生など多岐にわたっていますどれも神の仕業としかおもえないようなことを人が体現し再現してる…いったいそういう世界を成り立たせてる大本の「情報」ってどこからきてるんだろうなぁと考えさせられます。
それから…とっても興味深かったのは、情報の話題から繋がって、情報操作のところです。情報操作としてみれば蘇生が「コピぺ(コピー&ペースト)」で運命改善が「神とのジョークの飛ばしあい(だまし合い)」なんじゃないかっていうところです。…ルールをつくった神はなんとも不思議な仕業の存在だとお思います。神のことを知りたくなる本です。
2009/01/01 23:56:50
「あの世はどこにあるのか」

みっく
グイグイ引き込まれました
「あの世はどこにあるのか」という、誰もが知り得なかったことに、正面からぶつかっていくこの本は、前書きもなくいきなり「あの世はどこにあるのでしょうか」という問いから始まりまり・・・そして読み始めたら・・もう止まりません。
本を読むのは苦手な私でも、ぐいぐい引き込まれて読んでしまうのは、インタビュー形式で口語体だからというだけではないように思います。
インタビューというと、聞いて答えて・・というものだと思うのですが、答える側の著者がインタビュアーに聞きかえしたり、お互いが違う意見を述べあう部分もあり、「あの世はどこにあるのか」という大きな問いに向かう、その場のやりとりの勢いがすごくて、読んでいると、自然とその流れに乗ってしまうという感じです。
とはいえ、勢いで読んだものの、難しい・・という部分もあり、テープを巻き戻すように、何度か読み返た部分もあります。
特に物理的な話、情報次元のところなどは、難しいです。それでも、分かりやすい言葉で話してくださっているので、逃げずに何度も読もうと思えます。
また、森田さんのこれまでの調査の話ももりだくさんで、この調査がこの仮説につながるのか・・と、新たな発見もありました。
1ページ分を割いて載せられた写真は、どれも興味深く、説明文も詳しいので見入ってしまいます。
考え込んだり、笑ったり、驚いたりしながら、「あの世」について、空想や想像、思想とかではなく、地に足をつけて深く考えられる本だと思いました。
2008/12/28 14:02:10
「あの世はどこにあるのか」

テクノン
めちゃ、おもしろかったです。
思った以上に、対談の掛け合いがおもしろく、エロネタもたしかにあって、難しい内容の本なのに、読んでて吹き出したりしてしまいました。
口語体がとってもスピーディーです。
これまでの(1人称の)著作は、もりけんさんのキャラクターのなかでも、かしこまったところがあったと思います。
でも、口語体には、ちょっとホームページでのもりけんさんの要素があらわれてると思いました。口語体には、パルス的な要素があるんだと思いました。それもイノセントにつながっているんだと思いました。

とくに、9章以降の加速感と深さが、すごい。
山川さんともりけんさんの見解が、正反対なのに、そのまま、対立したままでも、進行し、視点が交錯していくようなやり取りは、とても読み応えがありました。
もりけんさんは、メインコーナーだったかなで、この本は科学的だと言っていましたが、そのことが、読み終えてよくわかりました。難しい論理的な説明のあとに、山川さんと阿部さんの文学的な言い換えフォローとかあって、とても噛み砕かれてわかりやすいです。
科学的と感じるのは、それは、もりけんさんが既成の価値観で語っていないことがとても大きいと思いました。情報次元というワードは、後半のカギですが、その概念が、もりけさんのこれまでの様々なデータを使って矛盾なく克明に描かれているのは、圧巻でした。情報の性質というのに、さらに興味がわきました。

データからの視点を、ほんとイノセントに今巷にある価値観にぶつけてるんだと強く感じました。だから、単に(たとえば天の邪鬼のごとく)否定をしてるだけではないことが伝わりました。
科学者といえども、自分の価値観をよけて研究を続けることはとてもとても困難だと思います。まずもって価値観からの問いが事件にだって影響を与える可能性もあるだろうし、論文にまとめる(それは文学の要素でもあるだろう)際に、価値観の影響を排除するのも困難だと思います。自分が正しい論理でありたいというこだわりだって、普通はあると思います。

神・・・これはもう何千年もその姿を問われてきた存在でした。
でも、人類以上に経験も知識も力もある全知全能で完璧とされていた神が、クリスマスに、日本の1冊の本からまた、ふりだしに戻されました。問いを持つ神として。
たとえば、不況になると、全知全能の神への信頼は薄くなると思います。願いはかなえてくれないし、よくなるようにそのちっともスーパーな能力で協力してくれたり世界を治めてくれないと、実感が沸くからです(汗)
来年は、もっとひどくなるというから、この新しい神の姿は、これからこそ受け入れられやすいのかなぁなんて、思いました。

いろいろ、細かい点では目から鱗が落ちる内容があるのですが、最近の自分の体験とシンクロしたのは、次元を落としても感情のようなアナログ的なものがなくならないというところです。
先日、新宿・初台駅うえのICCというところで、ストロボのフラッシュでできた自分の影が、壁面や壁にそのまま記憶されるという装置(作品)が展示されていました。
普通は、影は自分にひっついてまわるのですが、この装置だと影が自分を離れて独立してしまいます。それは、自分の相棒を盗られてしまったような、なかなか奇妙な感覚なのですが、私の影は、離れてみても、やっぱり私の影らしさがあって、影は止まっているけれど、自分の性格のようなキャラクターがしっかり写し取られています。輪郭しかわからないくらい次元を落とされても、まさに本の通り、情報はしっかり伝わっていると納得しました。
2008/12/26 18:17:53
「あの世はどこにあるのか」

まんじゅう
感想B
「どうして生まれてくるの?」の答えが、過去にしたことの清算のため。。では、いつまでたっても(輪廻からの)卒業は無理だろうな、って。。(アンナコトも、こんなことも、今の生でやっちゃってるし・・・(汗))
でも、「私は結果」を知って、今までずーっと思い込んでいた、すべての原因は私にあるの呪縛から、スーっとラクになりました。
「運命は決まっている」から「運命改善」ができる、と。そこから新たに問いを発展させて・・・
「道からはずれるためには・・・」って、誰もが知りたいことなのに、問わずに答えを求め続けていたのが今までしてきたことなのかな、と思いました。(自分から目的に向かってアクセスをかけ続けるって、「私は原因」と思っていたからかな、と。)
あの世のスープの情報を知ったことで選択肢が広がって、知識・語学・・・(スープを飲まなくても)今のままでは持ち越せるものが少ないかも・・・汗
村に入った兵士がスープ情報を持っていないのにスープを回避できた話に、無意識領域では、みんなつながっているんだな、って。。
村だけに固有の集合的無意識・・・場の区切りって何だろう、と。魂が村から移動できないのも不思議で・・・
「自然現象のうちのひとつだと思っているんです」って、何も特別にしないスタンスだから、情報の方から飛び込んでこれるのかな、と思いました。
霊が憑いても、乗り物にされても平然としているトラさん(の家族)って・・・この世とあの世を同等に(対等と)見ているからかな、と。でも、霊に「ふざけるな」と怒鳴りつけて、霊の方も「すみません」と謝るのが、笑えました。
情報だけで成り立っているあの世とオンラインでつながって・・・同じ情報を共有している仮説に・・・自分を通ることで、同じ情報を受けとっても歪みがあるのかな、と。(違った情報になってしまうのか、と)
孫さんの念写の実験で、意識で固めないほうが情報は歪んでなくて・・・無意識であるほど、情報はコピペのように正確に写しだされる(移行できる)のかな、と思いました。
生まれ変わりが一般的になった時に必要になるのが、チャラにする能力で・・・何にもこだわらないことかな、と。
良いも悪いも見ている角度で違ってくる。一面しか見ないで決めつけているのが普段していることなんだ。。
視点を変えることは、問いが増えることで・・・あらゆる情報とつながることで視点が広がって、適切な問いを発信することができるのかな、と。多角的な視点を持つことで決めつけることも少なくなって、自動的に運命が良くなっていく(自由度が増す)ことに通じてるのかな、と思いました。
快に生きればいい、と勧めてくれる本は今まで読んだことがなくて・・・
今のままでいい、とみんなが肯定すれば外応は自然に笑顔が多くなって、問いから得られる答えは、OK!!サインが多くなる、と思いました。



2008/12/26 18:11:29
「あの世はどこにあるのか」

この木何の木 気になる木
一気に読んでしまいました。
じっくり、時間をかけて読もうと思いながら、読み始めると引き込まれて、一気に読んでしまいました(笑)。自分でも、こんなに速く、読むことができるんだ!と、ビックリするぐらい集中して読めました。映画館で映画を見ているようなテンポで、もりけんさんと山川さんの会話が弾んでいたからだと思います。
フィリピンの心霊手術の肛門の出来事の話では、タクシーの運転手と同じ立場になったりしてしまい、本当に、振るえながら、大笑いしました。本を通じて、もりけんさんの時空調査に対する考え方、姿勢、想いがひしひしと伝ってきて、とても、暖かい気持ちにもなりました。
とても、解りやすく、やさしく書かれていて、2回目も、じっくり読みながら、どんどん、引き込まれています(笑)。
2008/12/25 21:57:56
「あの世はどこにあるのか」

まんじゅう
感想A
「還童功」を知って、子供の5歳のころの笑顔満開の写真をPCの横に置いている。(少しでも近づこう、と。^^;)
二次元の写真の中に情報が満載で、子供の前にカードがあって、横に自分で作った新聞紙の刀、おもちゃ箱にミニカー類、その前にぬいぐるみ・本・・・と混沌としている。何でもアリの時代は、360度の方向性を持っていたんだな、って思いました。
道教の修行は何でもアリで面白いです。導師との紙一枚隔てたキスは刺激的で、バンガローに、夜、ふたりきり・・・おぉ。。(爆)
目的を持たない修行は聞いたことがなくて・・・でも、八仙の絵は全部を肯定してくれているようで、いいな〜、と。(仙人の精液を飲んで、仙女になれたには・・・驚!)
瞬間のエクスタシー(究極の癒し)を味わって、視力が良くなったのが不思議です。目的を持つことで、肉体にも負荷をかけ続けているのかな、って。。
道教の修行で上に行けるかが、ブタのカードを引いたら「そこで終わり」が笑えました。^^
森田さんにとっての愛は「生命を表出することで、相手のために何かをするということじゃない」に、今まで私が思っていた愛って・・・う〜ん。。
自分を表現するために相手がいて(必要で)、それはお互いにとって・・・なんだろうな、と。ひとつの言葉に色んな形を包含しているのに、定義なんかできないのかな、と思いました。
「自由になるには?」の問いがあったからトラさんとの出会いがあって、ロッコウを知って決まっている運命を受け入れられ、変更するには?の問いが生まれる。どんな問いを持つかでの次々の出会い、と思いました。
すべての関係が歯車のようにがんじがらめになっていたら、自由なんてどこにもないが、ストーンと。。みんなが関連しているんだったら、自分だけって発想は生まれないかな、と。私がしていることが地球の裏側までつながっているような・・・
でも、決まっているから運命を知ることができて、問いを発生させることによって書き換えることができる・・・変更まで範囲内に入っている(子供ができない夫婦に、羊の携帯ストラップで「生まれちゃって」って)が、改めてすごいな、と思いました。
コインを振って卦を読むのが、(勉強すれば)凡人(誰れ)でもOK!!って、間口が広い(!)・・時空に価値観がないからかな、と思いました。
2008/12/25 16:24:58
「あの世はどこにあるのか」

改頁
続き

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